Good Day to Die

JDでIvy LeagueのLaw Schoolを目指す、純ジャパICU生の日常の記録

戦い

私の目指しているところは、とんでもなく高い。

同じような目標を持つ人に比べると、私がいま持っているものは、圧倒的に不利だし、challengeが多い。

よく間違われるけれども、私は帰国子女でもないし留学経験もない。international school出身でもない。

でも自分が目指す世界へのアクセスは、そういった環境で育った人の方が圧倒的に高く、だからこそ羨ましい気持ち・憧れの気持ちがあってそういう風に自分を見せたかった部分はあるかもしれない。(Asian Americanとか言われるのは単純に日焼けをしているのと顔が多少濃いこと、そして振る舞いがもともと「日本人らしく」ないことももちろんあるだろうけど)

 

そういう世界といっても曖昧すぎるので、ここで三言くらい説明したい。(*印から*まで)

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(ここ↓のConflictに関して書いていた文章が一気に消えた。まじショック、戻すボタンないんだ、ブログって)

私はConflictの問題にずっと興味があって、中高時代から政治理論や法という視点から「違いはどうしたらポジティブに乗り越えられるのだろうか?」というテーマに向き合ってきた。その中でも特に植民地問題とか、世界システム論および開発学のいくつかの理論などに強い問題意識を持ったので、mediatorという道からConflictへのアプローチを模索している。

 

正直どんなに偉い人が何人頑張っても、これからも変わることはない(why? because it's human nature)と断言できるような大きなテーマ(植民地問題とか、世界システム論および開発学のいくつかの理論など)をそれでも変えようと頑張るよりも、それはそれである程度所与ともした上でどうするかという発想である。

人間はそれぞれ違うから、そして人間以外の生き物・存在もこの世にはいるから、だけど同時に同じ世界にみんな存在しているから、それをどうみんなが納得できるようにバランスをとって行くか、これは私たちこの世界に生きるものの永遠の課題です。それぞれ違えばぶつかる。意見の違いもあるし、そもそもの価値観の違いもある。その違いがそのままでなくエスカレートした時に暴力は起きるし(暴力論はもっと奥深いが今は詳しくは書かない)、暴力がなくても人間の精神には影響を大きく及ぼす。この始まりからその影響と分析、現状存在する対策解決策等も全て含めて私はConflictというtermを使っている。(Conflictそのものへの興味は両親の離婚騒動における自分の役割がたまたま二重スパイのようなものだったために、考察実験の結果として生まれたものであります)

 

さて、その一連のプロセスをacademiaの視点からだけでなく、実務として(仕事として)も何ができるか?という私なりも模索が今のところのmediationという帰結になる(変わる可能性は大いにあります)のだが、これをどういう軸で見るかというと、やはり公的に「正しい正しくない」を決めるものでもあり、国家を国家足らしめるものでもある法の存在は大きいのではないかと思う。

そんなことを考える中、たまたまInternational Human Rights Lawのクラスをとり、その教授のPhilosphyに惚れ込み、さらに紹介された教授からColumbia Law主催のMediation Sammitにインターンとして参加させてもらえることになり、その道が少しずつ少しずつ開きかけているような状況である。

 

日本ではあまりConflictに関すること、およびそれへのアプローチへの研究なり活動なりは耳にすることはあまりない。法学院でも日本ではあまり集中的にやっているプログラムはないようだ。しかし、アメリカのLaw SchoolではそういったClinic(ゼミ)があり、集中的に二年間みっちりこなす(プログラムは学校にもよるが)。そこで私はアメリカのLaw Schoolを目指すことにした。

アメリカのLawに入るにはいい成績(GPA)、いい研究と人間性(recommendation)とLSAT(ロジックゲーム的な)が必須なのだが、ここで本題に戻る。

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日本の教育はそういうために大切なことをtrainingはしてくれなかったから、私にとってのそういう学び・思考は高校二年で友達のTedxを見てからになる。ICUに入学してからも、英語やエッセイ、internationalな思考(謝る謝らないとか、どう自分を見せるみたいな価値観も含め)、アカデミックな考え方を叩き込んできても、大学からスタートした私にはまだまだだ。

それを小学校からやっているような人には正直敵わない。

最初日本人でHarvardにいる友達を見て、英語やその立ち位置で比べて、自分の存在が恥ずかしくなっていたけれど、そもそもスタート地点が違うことにBoyfriendに指摘されて気づいた。(ちなみにboyfriendはHarvard College-それはまた違うブログがあります)

私は日本人と比べたら本当にinternationalだし、アカデミアも英語もかなり流暢に話せると思う(発音も含め)けれど、世界で比べたら全然。

日本人とゴールが違うのに同じ土俵で比べてもしゃーないやん。

純粋に彼らより乗り越えなきゃいけない壁がどでかい。

そのことでルームメイトと喧嘩(?)して、またovethinking入ってしまったんだけど、

ただ、人間いろんなdimensionがあって、だからそれが人間としての価値になるわけじゃないんだし、まりだってルームメイトよりできることアカデミアでもたくさんあるんだよね。

 

もうごちゃごちゃ考えないで頑張ろ。

 

とりあえずキリがないのでテスト勉強します。(深夜二時半、明日テスト)

13th Nov 2017